Gallaly3|ベーリング海峡|写真家「有馬清徳」公式サイト...シルクロード、南極、ベーリング海峡、シベリア・アラスカ・北極圏、麗しき日本の写真を撮り続けた写真家の軌跡

GalleryIII  極北のアメリカ・ロシア国境周域と少数民族の生活。  ベーリング海峡〜シベリア・アラスカ・北極圏〜

ベーリング海峡の昇陽

1989年に取材した南極は、自然環境の厳しさと南半球の大陸から海洋により遠く隔たっているため、人類定住の歴史はない。これに反し、北極圏は北緯70度〜75度に至る北極海にも大陸に続く島が見られる。しかも、この地方には紀元前から北方民族の営々とした生活が現在も受け継がれている。今までシルクロードの歴史に触れてきた私が、この度は極北の大自然とその過酷な条件の下に生きる人々の姿を撮らえることに挑戦した。
1990年、冬。ハバロフスクからマガダン、ペベックに至り、当時のロシア地質公団の協力のもと、少数民族チュクチ族のテント生活を取材する。
1991年、夏。シベリア・チュコト半島を縦断し、北極海、ベーリング海沿岸、そして、トナカイと共に生きるチュクチ族に再び接することができた。
1992年、夏。ユーラシア大陸最東端とベーリング海峡への飛行を願い、12時間のヘリコプターによるフライトで、シベリア最北東端のウエレン村と、ベーリング海峡に面して立つデジネフ岬をフィルムに収めることができた。
これに反し、アラスカ側はロシア側に比べ気象の変化が厳しく、取材は難渋した。セントローレンス島へのセスナ機によるフライトは容易であったが、対岸のロシア・プロビディニア取材では、予定を4日過ぎても悪天候で、アラスカへ帰ることができなかった。今回の取材最大の目的であるベーリング海峡のロシア・アメリカ国境に位置するビッグ(ロシア)リトル(アメリカ)両ダイオミード島の間に昇る太陽の撮影は、1年のうち6月と12月の2回しかチャンスがない。しかし、悪天候のためヘリコプターを飛ばせない…この状況が4年間続いた。
1996年12月。猛吹雪の合間のわずか5時間、私は幸運に恵まれた。ヘリコプターから身を乗り出し、一本のシートベルトに体を託して、ロシア・アメリカ国境の水平線上に昇り輝く太陽を、涙ながらに撮影することに成功したのである。
2005年と2006年、冬。アラスカ北極圏内陸部の、フェアバンクスを中心に、ダルトンハイウェイを北上し、アラスカパイプライン他、ユーコン河周域、ブルックス山脈、山麓付近のアラスカ・エスキモーの生活。さらに、極北の空を彩るオーロラにも出会い、ベーリング海峡・シベリア、アラスカ、北極圏の取材を終えることができた。

アラスカ

極光

黄昏のベーリング海

ミッドナイト サン

ギャンベル浜暮色(セントローレンス島)

4km離れたロシア領・ビッグダイオミード島

リトル・ダイオミード島の住まい

金色に輝くベーリング海峡

    光る沼(バロー)

白熊の毛皮干し(リトル・ダイオミード島)

集会所前で遊ぶ(ウエールズ)

     リトル・ダイオミード島の男

イヌピアト・エスキモーの踊り

シベリア

デジネフ岬全景(シベリア最東端)

さい果ての村(ウエレン)

光る河(ベーリング海沿岸)

凍る町(アナドリ)

鮭を漁るカモメ(アナドリ)

語らう老人(ウエレン)

チュクチ族のテント(エクビアタップ)

チュクチ族の村長

    チュクチ族の村長夫人

チュクチ族の若い母子

チュクチ族の老婆(ペベック)

雪中のトナカイ(カンチャラン)

トナカイの乱舞(エクビアタップ)

収容所の跡(ペベック)

北極海夕焼(ペベック)

オーロラ(チェナ温泉)

オーロラ(フェアバンクス)

オーロラ(フェアバンクス)

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コピーライト 有馬清徳 1998年

写真集

ベーリング海峡

【出 版】 東方出版
【発行年】 1998年
【定 価】 3,675円

シベリア 北極圏

【出 版】 光村印刷株式会社
【発行年】 1991年
【定 価】 1,000円

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